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アスリート


羽生結弦のサムネイル
羽生 結弦(はにゅう ゆづる、英語: Yuzuru Hanyu、1994年〈平成6年〉12月7日 - )は、日本のフィギュアスケーター、アイスショーのプロデューサー。宮城県仙台市出身。早稲田大学卒業。2014年ソチ・2018年平昌2大会連続オリンピック金メダリスト。2018年国民栄誉賞受賞。201…
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(出典 www.waseda.jp)


羽生結弦の元妻が実名報道にOKを出していたとは驚きですね。

1 ひかり ★ :2023/12/06(水) 04:36:46.92 ID:2YCG+oEg9.net
 11月17日に突如、離婚を発表したプロフィギュアスケーターの羽生結弦(28)。結婚発表からわずか105日というスピードに世間は衝撃を受け、今もなお余波が続く。彼は離婚の原因にファンやメディアを挙げたが、果たして本当にその通りだったのか。

 ***
 羽生は離婚の原因について自身のSNSで、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材と報道を挙げ、〈現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした〉とつづっている。

「五輪で2連覇を果たし国民栄誉賞まで授かった羽生さんには、それまであらゆる批判がタブーとされてきました。しかし、今回の離婚を機に、いくらなんでも3カ月で別れた原因を他人のせいだけにするのは違うのではないか、という声が多く聞かれるようになりました」(スポーツ紙記者)

 8月4日の結婚発表時、羽生は妻だった末延麻裕子さん(36)に関して実名はもちろんのこと、一切の来歴を明かさなかった。

「9月19日に麻裕子さんの出身地である山口県の地元紙『日刊新周南』が、初めて彼女の実名を報じました。以降、ようやくわれわれは彼女について知ることになったのです。徹底した報道規制が敷かれた背景には、現役時代から常に羽生さんに帯同し続けた母親や、広報を務める姉の存在があったとみられています」(同)

 山口県に所縁(ゆかり)のあるジャーナリストによれば、

「『日刊新周南』は麻裕子さん本人に聞いてOKを得られたので、実名を出しての報道に至ったそうです。彼女自身は決してメディアに報じられることを嫌がっていたわけではなかったと」

 やはり、麻裕子さんが姿を現してこなかったのは、情報管制に神経を尖らす“チーム羽生家”の特殊な事情によるものなのか。

全文 デイリー新潮
https://news.yahoo.co.jp/articles/2da1a3215b2822c6480c29a611ba23654f4fdd95

前スレ
羽生結弦の元妻は「実名報道にOKを出していた」 報道規制の背景に「母と姉の存在が」 [ひかり★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1701766053/

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羽生結弦のサムネイル
羽生 結弦(はにゅう ゆづる、英語: Yuzuru Hanyu、1994年〈平成6年〉12月7日 - )は、日本のフィギュアスケーター、アイスショーのプロデューサー。宮城県仙台市出身。早稲田大学卒業。2014年ソチ・2018年平昌2大会連続オリンピック金メダリスト。2018年国民栄誉賞受賞。201…
459キロバイト (46,421 語) - 2024年6月10日 (月) 23:19

(出典 www.anahd.co.jp)


「羽生結弦選手の離婚に関する報道を見て、ショックを受けています。」

1 ネギうどん ★ :2023/12/02(土) 15:47:52.13 ID:hcmyWAnN9.net
 11月17日、公式SNSで離婚を発表した羽生結弦(28才)。8月4日の結婚発表からわずか105日での離婚だった。

 元結婚相手のAさんは、羽生より8才年上の元バイオリニストだ。結婚後は、羽生が拠点をおく宮城県仙台市で暮らしていたとされる。

 羽生は昨春、仙台市内の高級マンションの最上階にある、隣り合った2部屋を購入した。1部屋1億円はくだらないその部屋を、羽生はキャッシュで購入している。1部屋には羽生の両親と姉が暮らし、もう1部屋で、羽生は新婚生活をスタートさせたようだ。Aさんはそこで息を潜める生活を送っていたという。

 もともと、AさんはバイオリニストとしてCDを出し、有名アーティストとの共演経験があるなど、ステージ上でスポットライトを浴びてきた有名人だった。しかし、羽生との結婚を前に自身のSNSを削除するなど、表舞台から身を引いた形にして、「羽生結弦の妻」となる並々ならぬ決意を見せていた。“潜伏生活”への覚悟も持ち合わせていたはずだ。だが、Aさんにとって結婚生活には別のハードルがあったようだ。

 羽生の才能を信じ、数え切れないほどの犠牲を払いながら全力でサポートし続けてきたのは羽生の母だった。姉が先に習っていたこともあり、喘息持ちだった羽生のために、屋内でほこりが少ないスポーツとしてフィギュアスケートを選んだ。

「食が細く、喘息もあったため健康管理はまず食事から。食材も味付けもすべて、お母さんがOKしたもの以外、彼は口にしませんでした。おまけに敏感肌で皮膚が弱かったり、犬猫などの動物アレルギーがあったりしたので、身につけるものの素材はもちろん、クリームなども決まったものしか使わなかったんです」(フィギュア関係者)

 晴れて結婚したAさんが、伴侶として羽生を支える役割を担おうと意気込んだのは想像に難くない。前述したように、彼女は表舞台にも一線を引いた。にもかかわらず、始まった“新婚生活”は、想像とはまったく異なるものだったようだ。

「アスリートの体は繊細です。指先まで神経をとがらせて演技をする羽生さんであればなおさらでしょう。目にするもの、口にするもの、触れるものすべてに気を使わなければなりません。そして、羽生さんの体のことを隅から隅まで知っているのは、彼のお母さんです。

 しかし、結婚後、Aさんに対して、お母さんから食事の献立や食材、味付けなどについての指定やアドバイスは、まったくなかった。隣の部屋に住んでいるのに、それまでの羽生さんを支えるルーティンの助言もなく、完無視だったというんです」(スケート関係者)
 最近は、アスリート妻が食にまつわる資格を取得し、パフォーマンスを支えるケースがよく聞かれる。

「Aさんも、そういった妻像を描いていたのかもしれません。しかし、フタを開けたら食事を始めとする体調管理も一切させてもらえない。プライベートといっても、アスリートの生活はストイックですが、そこにはかかわれない。しかも、深夜の練習に帯同するのは羽生さんの両親と姉だけで、自分の出る幕はない」(前出・スケート関係者)

 30日発売の『女性セブン』では、羽生のマネジメント会社に入れなかったAさんの疎外感、Aさんの素性を実名報道した地元新聞社への抗議の声、ジャーナリストであるAさんの叔父への直撃などについて詳報している。

https://www.news-postseven.com/archives/20231130_1923999.html?DETAIL

★1 2023/11/30(木) 09:49:08.95
前スレ
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1701390682/

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桃田 賢斗(ももた けんと、1994年9月1日 - )は、日本のバドミントン選手。バドミントン日本代表。香川県三豊郡三野町(現:三豊市)出身。2013年よりNTT東日本所属。左利き。マネジメント会社はUDN SPORTS。 BWF世界ランキング最高位は1位(2018年9月27日から2021年11月…
58キロバイト (5,604 語) - 2024年4月18日 (木) 10:09

(出典 www.sponichi.co.jp)



1 牛乳トースト ★ :2024/04/18(木) 11:23:38.58 ID:auVGjYHB9
バドミントンの男子シングルスで元世界ランキング1位の桃田賢斗(NTT東日本)が18日、国・地域別対抗戦、トマス杯(27日開幕、中国)を最後に日本代表を引退すると発表した。所属先を通じて「今後は日本代表からは引退したものの、競技活動は続けてまいります。国内の大会に参戦しつつバドミントン教室やイベント等へも参加し、バドミントンの発展のために尽力してまいりますので引き続きよろしくお願いいたします」とコメントした。

香川・三野町(現・三豊市)生まれ。中学から福島に移り、富岡一中、富岡高で腕を磨いた。13年にNTT東日本入りし、14年に国・地域別対抗戦、トマス杯で日本の初優勝に貢献。日本代表として世界の舞台で戦ってきた。15年にシンガポール・オープン男子シングルスでは、スーパーシリーズ日本勢初の頂点に立ち、日本の「エース」として歩み始めた。

リオデジャネイロ五輪で金メダルが期待されていた16年4月には、違法賭博問題で出場停止処分を受けた。競技の道を断たれかけた中で「いろんな人に支えられた。今、バドミントンをできていることに感謝しています」。17年5月に復帰後は、バドミントンは感謝を示す手段になった。

18年の世界選手権、ジャパン・オープンでともに日本男子初優勝。その後の同9月には日本男子初の世界ランキング1位に君臨した。19年には全英オープンで初優勝。世界選手権では連覇を達成した。この年は国際大会で当時新記録となる年間11勝を挙げ、賞金は50万ドルを超えた。

世界ランキング1位を維持し、東京五輪を目指した中、20年1月に国際大会で滞在中したマレーシアで交通事故に遭った。右目の眼窩底(がんかてい)骨折で手術。「シャトルが二重に見える」などと、競技にも影響が出た。初出場した21年の東京五輪では、1次リーグ敗退。同年11月には3年2か月維持した世界ランキング1位から陥落した。負けるたびに、強かった頃の自分の姿と比べて「変なプライドが邪魔していた」と苦しい時間は続いた。

22年8月に東京で開催された世界選手権は2回戦、その翌週のジャパン・オープンでは初戦で姿を消した。同大会後には「もういいかな」と気持ちが折れそうになり、一時は現役引退も考えた。実家の香川に戻り原点に立ち返り、「このままじゃ終われない」と立ち上がった。

昨年5月のパリ五輪選考レースが始まる前に覚悟を決めた。東京五輪を思い返し「いざ出てみて、緊張感だったり、試合が終わるたびに感極まりそうになるし、自分の高まりも違うものを感じた。もう一回、あのコートに立ってプレーしたい」。だが、同9月の杭州アジア大会では腰痛で欠場。思うようにレースを運べず、厳しい状況に立たされた。それでも最後まで諦めなかった。

昨年11月の韓国マスターズで世界ツアーで2年ぶりの優勝。同12月の全日本総合選手権では2年連続6度目の日本一で、状態は上向いた。だが、今年3月の全英オープン終了時のランキングで日本勢6番手となり、最大2枠の五輪出場権の可能性が消滅した。奈良岡功大(NTT東日本)と西本拳太(ジェイテクト)が権利を確実にした。

波瀾(らん)万丈の道のりを歩んできたエースは、新たなスタートを切る。

◆桃田 賢斗(ももた・けんと)1994年9月1日、香川・三野町(現・三豊市)生まれ。29歳。小学1年で競技を始め、福島・富岡一中、富岡高へ進み、3年時の2012年世界ジュニア選手権で優勝。13年にNTT東日本入社。15年世界選手権で銅メダル。18、19年世界選手権で2連覇。初出場した21年東京五輪は1次リーグ敗退。全日本総合選手権は6度制覇。座右の銘は「感謝」175センチ。左利き。

https://hochi.news/articles/20240418-OHT1T51062.html?page=1
2024年4月18日 11時0分スポーツ報知

【【悲報】天才桃田賢斗が日本代表を引退へ】の続きを読む

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